10/8(金)

 今日もスタジオの重たい扉を開ける。あー、今はつくっていた曲をYouTubeにあげようとしていて、ドラムがいい感じで撮り終わったので今日からギターと歌を練習している。ギターはやっぱりまだまだへなちょこでなかなかうまくいかないし歌も、歌というかメロディは無くて歌詞を読んで叫ぶだけだけど、マイクに向かうことに慣れていないからうまくいかない。あー、でも、今日は時間の許す限りひたすら弾いて叫んでを繰り返していたけど、自分のものがちゃんと自分のものになってきている気がする。自分の中では、つくるだけではまだなのかもしれない。こうやって自分で練習して演奏して、吐いては詰めてまた吐いては詰める、この繰り返しでその曲の気持ちや意味や想いを確認して染み込ませて自分のものにしていっているような気がする。今日もギターを弾いていたけれど、ドラムのテンポ感と微妙に違っていた。でも練習するにつれて、そのテンポ感は一致していった。自分の中で納得のいく形に近づいていけているのかもしれない。こんな方法、もどかしい、時間がかかるしお金もかかる。こんなに時間をかけてたら気持ちが腐ってしまうのではないか?怖い。でも、今やってる曲もつくったのは去年とかだ、けどちゃんと吠えれる。まだまだ自分の中にある、その時の渦巻く感情は残っている。無くならない、無くしたくない、今のところは。こうやって吐いて詰めて繰り返していけばいつかは吐いてそのままの時が来るかもしれない。そうなったらそうなったでかまわない、またその時は別のものが生まれているはずだ、そうあってほしい。心なんて流動的なものだ。あー!蹲って叫びたい、どうにもならないこの感情、無くしてはならない、苦しんでもがけ!全て肥やしだ!あの人の新しい曲はとてもよかった!すごい!羨ましい、どんどん溢れてそれを形にして発して、自分もあれくらいのスピード感で発したい、スピード感が足りないなと思う。でも腐ってなんかいない!ずっとある、あり続ける!納得のいく形、自分がこれを選んでそうしようとしているからには、今そう思っているからには、そうしないといけない!スタジオ、2時間で2千円弱、片道1時間弱、100回我慢したらMacBookといいドラム音源といいオーディオインターフェースなんて余裕で買えるんじゃないか、でも100回も我慢なんてできないしそんなことしていたら腕も心も腐って鈍って結局どうにもならないよ!自分が今持っている表現のための手札、ドラム、ギター、言葉、たどたどしくても不細工で不恰好でも今を残せるのなら発されられるのならば、やっていきたい。でも早くしないと、間に合わないよ。死ぬまでずっと間に合わない、間に合うことなんてない方がいい。終わりなんてどうせ唐突で一瞬だ、その瞬間にその後悔があったら、そしてその瞬間に終わることができなければ、その後は今よりもっと良く生きられるはずだ。でもその瞬間、本当に本当にやっと終われるなんて思ってしまったらどうしよう、そして終わることができなければ、その後はどうなるのだろうか、なんて妄想、馬鹿みたいだ、妄想ばっかりするな、気持ち悪い!あー!もどかしい!早く早く形にしたい。形にしたいというのは、自分の中でつくっておわりということではないのだろうな、こうやって何かに乗せて発信したいと思っているということは、自分のものを人目につくようにすることが形と思っているのだろうか。なんでなんだろう。自己満足のはずなのに、なんでなんだろう。あー!あー!あー!と文字にしたって叫べない、あー!