2019/12/31(火)

 やっぱりゆるやかな生活が好きだ。テレビを見ながら、その後音楽をききながらアイロンをかけて思った。好きな音楽をきく。コーヒーを飲んだりお菓子を食べる。アイロンをかける。ゆったりとした生活、時間。どちらかというと後者が好きなのかもしれない。学生だった頃も、なんとなーくお昼過ぎの、14〜16時くらいの時間を感じていたのを覚えている。あれは多分、心地がよかったんだと、今考えるとそう思う。お昼でもなく夕方でもない、ゆったりとした時間。その時間を生み出すのはその時に行う生活なんだけれども。こんなことをゆるやかな時間のなかで考えていた。コーヒーは冷めていた。

 

 エモとかポストロックが好きだ。でもしたい音楽は、それというわけではないと思う。自分の感情が振れる、激しく共鳴したり感動したりするものがそう呼ばれるものであり、当てはまるとするならばそれ、というだけだ。自分の感情をのせて組み込んで練り込んで吐き出せるものがそれなんだ。パズルのピースがぴったり合わさるように、出会えて、揺れた。

 

 

帰りのバス、楽しみ。歌詞カードをいっぱい持ってきた。積読ならぬ積CD してたんです。それらをパソコンに読み込んでiPhoneにもいれてきた。歌詞カードを見ながらきく。楽しみだ。時代はサブスク、CDなんて入れ物はもう古いんだけど、サブスクじゃジャケットの裏面も中身も、歌詞カードの字体もイラストも色味も質感も感じられない見えない知られない。それも含めて彼ら彼女らの作品だもんね。ごみさんもブログで言ってた。モノにいつまでも執着してる古い人たちみたいなスタンスはどうなのかなと思う。好きは好きでいいじゃない。それがお国柄とか時代錯誤とか、そんなもんで一括りにされちゃたまらんよ。もちろんそれを育んでいるのは住んでいるお国であって環境であって生活とか日々であるけど。好きを否定とか弾いてしまうのはとっても嫌な気分だ。もっと寛容になってほしいね。僕は直接そういう言われたりはしてないけど、時代の流れで自然に生まれている。そういう流れとか流行りとか、生まれてくるのは世の常だと思うけど、それ以外を否定するなんてあんまりだ。便利な世の中になったけど、そんなのに振り回されたくないな。

 苦しい苦しい日々の反動か、長い休みとお薬のおかげで元気になったからこういう気持ちや自分の中の想いうねり渦巻ぐじゃぐしゃを表現したいという気持ちがどんどんでてくる。よかった、まだ大丈夫だ。自分で選んだ道だけど、とってもしんどい。こんなこと言っちゃいけないけど、ね。みんなどうやって日々を過ごしているんだろうか。生活は難しい。そりゃのんびりなだらかでも嬉しい楽しい悲しい日々が続いていた日々とのギャップはあると思う。何が正しいかなんてわからないしそもそもこれが正しい!なんてないと思うけど、そんなものを求めるのもお門違いなのかとが思うけど、やっぱり探してしまう。でもきっと、こんなことを書けているのが自分の正解なんじゃないだろうか。長い休みがこのタイミングで、しんどい日々の間にあってよかった。結局しんどいも楽しいも、それら全部が自分の正解に繋がってるんだと思う。思いたい。こんな気持ちが消えないでほしい。しんどい日々の中で消えていくんじゃなくて、押し込まれているだけであってほしい。というか、もうそれ、あります。あるんです、あるんです!もう!お酒とタバコと長い休みでやっとこさこんなに考えを残しておくことができた。日々は大変だ。生きていたいと久しぶりに思えた。よかった。敬意を忘れずに、生きていたい。