オムライスの日への展望

 八月に二つ応募したエッセイも九月に応募したエッセイもことごとくダメでありゃりゃという感じだったので、その中のオムライスの話を野に放ちます。八月の応募の一つはいくつでもだしてよかったから、数撃って当たれと思いながら日記を整えて四つくらい応募したもののバツ。もう一つには、水道会社から督促状が届いた日記を整えて応募したもののバツ。九月のやつの応募要項には、生活の中の感情がうんたらと書かれていたので、オムライスは生活の中にあるしなということでオムライスの日記を集めてつなげて整えたものの、これまたバツ。後もう一つ十月に応募したものが残っているので、お願いしますよと思いながら待つ。十万くれ〜と応募して、まあ十万もらえるしなという投げやりの感情が支出を担ってもいたからもらえなくて残念。次はなんとかお願いします。

 

 新しい部屋に引っ越してきて半年と少し、大学生の時にピークを迎えそれ以降は萎み気味であった自炊が緩やかに再開し、再び本格的に始めてから半年弱になる。料理に対する楽しさを感じ始めてから、料理だけでなく掃除や洗濯を含めた生活の実感に体重を預けるとそれ以外の時間の不安が預けた分薄らぐ、という自分なりの解釈を得た。そこからの生活の実感を得る時間はにこやかで、部屋はきれいだし洗濯物はいい匂いがするし野菜をよく食べて、健康診断の結果は体重が増えていたことを除くと花丸であった。料理を作るのは基本的に休日のみで、その日の昼食と夕食と、平日の夕食と弁当の作り置きが主であるのだが、二週間に一回はオムライスを作る。作るのは大抵土曜日の夜で、夕食兼お酒のお供である。オムライスを作った後は、決まってその匂いがしばらく残って漂っている。オムライスは人ではないにも関わらず、その匂いを残り香と言いたくなる。何を作ってもその料理の匂いは漂っているはずだがオムライスの残り香は殊更好きで、この残り香も含めてオムライスの楽しみとしている。作って食べて漂って。

 今回のオムライスのケチャップライスは、加熱調理におけるおいしさの秘密の一つであるらしいメイラード反応を意識して、玉ねぎをいつもより注意深く焼いて作った。みじん切りにした玉ねぎの一片一片が小さいからかいつも少し焦がしてしまうので、弱火でじっくり、捉えることが難しい色の変化に目を凝らしながら「メイラード反応…」と唱える。週末の作り置きのために買っておいたベーコンとぶなしめじも入れた。そうしてケチャップと、別の料理のために最近買っていたウスターソースを入れて焼いて、ケチャップライスが完成した。次はオムの部分である。フライパンの温度が八十度程になってしまうと卵がくっついてしまうらしいので、卵を入れても温度が下がりすぎないようにフライパンを入念に熱してから卵を注いだ。そうしたら一気に焼け始めたので慌ててかき混ぜてふわとろの卵のようにして、フライパンの温度が下がる前に素早く、破れないように慎重に、フライパンをとんとん叩いてケチャップライスの上に滑らせる。見事に卵はくっつかず、しかしちらりと見えた裏面は少し茶色がかっていた。メイラード反応、と思いながらそのまま乗せると、表面は半熟のため見た目はとってもおいしそう。味の方はいかにと、まだ残り香になっていない方のオムライスを食べてみたら見た目通りのおいしさであった。ビールを飲む。恐らく多くの人が知っていてそれを独り占めしたいがために大々的に公開されていないことだと思うのだが、オムライスはビールに合う。オムライスがメニューにある居酒屋やバーはそれとなく伝えてくれていた。

 食べ終えて、残り香になったオムライスを嗅ぐ。オムライスのみならずおいしいものの悪いところは、食べたら無くなってしまうということである。おいしさの余韻と残り香だけを残して去ってしまうなんて意地悪でずるい。でもおいしさへの感情はそういった非難の感情と別の部分でもはたらいているので、嫌いにはなれない。だから何度も作って食べて漂って嗅いでいる。この残り香も目で見えたらもっとオムライスの日になるのに、と思う。煙のようにゆらめきながら立ち昇って、食べた後に匂いに気がついて天井や壁に目をやるとその匂いの姿が所在なさげにうろうろしていたら。何色だろうか。つやっとした卵の黄色に夕焼けのようなケチャップライスの橙色。黄色と橙色の匂いの姿が消えていく前に空間を漂う、そこまで含めてオムライスの楽しみ、オムライスの日にしたい。そんな日が迎えられるのなら、借間だけれど部屋のど真ん中で換気扇を回さずに作りたい。じわじわと火が通っていくことによる姿の変化とそれによる匂いの姿の変化が、ご飯や玉ねぎやケチャップや卵などの要素一つ一つにオムライスが宿っていく様があって、完成したそれらを味わう。そうして目に見える残り香になる。作って食べて漂って。食べたオムライスが体内で、残り香になったオムライスが体外で、お互いにどことなく気を遣っているように踊って、今日はオムライスの日だと私はそれを眺める。残り香が壁と天井を覆って、部屋の中は卵に包まれたケチャップライスのようになる。匂いを暖かく被せられたケチャップライスの部屋に私も同化して、オムライスになれる。

 そんな休日、素晴らしそう。そう思いながら残り香をかき分けて食器をシンクに持って行って、水につけておいた。食器をそのまま放っておいたら洗う時に大変になることもまた、おいしいものの悪いところだ。

 

 オムライスになれることはないからエッセイではないのかもしれない。エッセイのことをよく知らないまま応募して、モンテーニュの「エセー」かそれについての本を読もうかなと日記に書いていたが、結局読んでおらずエッセイについて知らないままである。知らないけど最近は永井玲衣のエッセイがとても好きでよく読んでいる。十月に友達の結婚式があり、それまでの時間を潰す目的で行った図書館で読んだ「群像」の中に収録されていたものがとても好きで鼻をすんすんいわせていた。「世界の適切な保存」という連載らしいので、それからは図書館に行った際にはそれを読んでいる。駐車料金は一時間しか無料にならないためそれをちょっと気にしながら。十二月に衝動買いみたいにして買った「水中の哲学者たち」を読んだり、太田出版というところのwebマガジンに連載されている(されていた?)「ねそべるてつがく」を読んだりしている。少し前に本屋で新しい号を立ち読みしようとしたら見当たらなかったので、もう連載終了してしまったのだろうか。

 少し前にドリアが食べたくなって、オーブンがないから炊飯器で作れるレシピを探したら見つかったのだが、そのレシピでは炊飯器でチキンライスを作った後にチーズとホワイトソースをかけて蒸らすという作り方だった。そのため、オムライスにしたらおいしいのでは?と思ったのでそうした。チキンライスができてとてもいい匂い、作っておいたホワイトソースとチーズをかけて蒸らして、卵をつくってそれにのせた。オムライスロード、ネクストステージへ、、、と思った。チキンライスが上手にできたしチーズとホワイトソースはまずいわけがないためとてもおいしかった。しかしはちゃめちゃに重たかった。ネクストステージにはまだちょっと早かったかもしれない。