8/26(土)

 金麦のことは好きだけれど季節を先取りしすぎるところは嫌い。そう書いていた日記は確か今年の金麦の夏缶が店頭に並び出した頃で、いつからか金麦の季節缶、夏以外でもそうで「〜の味できました」という缶が並び出す頃に毎回むっとしてそれを避けて別のビールにしていた。それを書いていた日も確かそうして隣に並んでいたクリアアサヒをカゴに入れていた。でも今年の自らの夏初めは早くて、それは去年暑さがやわらいでもう多分秋に突入しているであろう頃、バスの中で降車ボタンを押そうとしていた時に着ていた半袖のシャツの袖がするっと垂れて日焼けしていない部分が見えてああ夏だったのかと思ったのを思い出したからで、その時と同じシャツを着て部屋の中で同じように腕を上げて半袖が垂れるのをみてもう夏だと思ってから夏が始まった、のでそれから嬉しそうに金麦の夏缶をかごに入れていた。でも確か5月の異常な暑さが続いていたあたりで既に秋への展望が芽吹いていて、今年は絶対にカーディガンを買うぞ、一着じゃないぞ、みたいなことを日記に書いていた。その時は秋になったら思い出してねと書いていたのだけれど、思い出すまでもなくずっと残っていて、「伊豆の踊り子」とか「よつばと!」とかの中に出てくる秋をみて、まだ夏の暑さの記憶が残る肌を冷まし覚ます秋のひんやりを読んで、愛おしい!みたいなことを日記に書いていた。日記の思考。下がっていく気温、ではなく、取り戻すと言う感覚すらある、そんな大袈裟なことも書いていた。日記の思考。そんな待ち望んでいる秋だが、昨日の帰りにいつものようにスーパーにビールを買いに行くと店員さんが金麦の秋缶を並べていた。秋缶が並べられたら三本くらい放り込むかもと書いていたのに、いざ並べられているのを見ると戸惑ってしまった。うっ、となって遠目で立ち止まったら、並べられていた普通のサイズの上にあるロングサイズはまだ夏缶であった。店員さん並べてるし、いつも買うのはロングサイズだし、と思いながら近くに行ってロングサイズの夏缶の方をかごにいれたものの、そのままレジに行かずに後方のお惣菜コーナーで買うつもりもないお惣菜を見ながら秋への展望とつもりのことを思い出してうろうろ、なぜこんなくだらないことでどぎまぎしている?くだらない思考性へのヘイトがどぎまぎに重なって、結局店員さんが少し離れたのを見計らって秋缶を取りに行った。並べているのにそれをとっちゃってすみません、みたいな笑みをマスクの下で浮かべながら店員さんの方を見たら店員さんは並んだ缶と並べる缶を見つめ続けていたので、変な人になってしまった。

 スーパーから住んでいる部屋に帰る道はそれ以外の日と異なり、なので途中にある大きな道の信号の色が2パターンある帰り道を決める。昨日は青だったからそれを渡って帰っていた。どちらを選んでも上り坂なのだけれど、坂を登ると自然に頭が下を向いてしまってそのせいなのか考えることも暗い内容になってしまう、と坂道に責任を押し付ける。うっ、となって遠目で立ち止まった、の間に金麦の夏缶がうんたら秋がうんたら秋缶がうんたら夏缶と秋缶が並んでいてうんたら、日記に書くみたいな思考が流れていて、日記の思考、これ日記の弊害なのではないか?という心配がどぎまぎに重なるみたいで、そのどぎまぎの発端は今の仕事の段階における自分の状態があるのだろうけれど、もしかしたら出来事を出来事として受け止められていない?と変な心配、これも日記の思考?お盆休みが10連休もあって、その序盤にお酒を飲みながら明日も休みという嬉しさを考えた後に予想の域を出ない長い連休が終わる直前に感じるであろう憂鬱が被さって、それをそのまま日記に書いていたらへんてこな比喩が出来上がってしまって、日記の思考でわけのわからない比喩を、と書いていた自分の日記へのなすりつけがなんだか、どっちだ。誰かと快い時間を過ごした時空間が拡張された域の記憶のみが記憶らしさを保った記憶、懐かしさのようなものを伴った情景で、それ以外の記憶が日記を介してのみ思い出されているみたいな心配があったが、ちゃんとそうではない域の記憶にも懐かしさが伴って最近思い出されたので安心。日記の思考なんてものは考えすぎで日記はただの日記であった。日記は精神衛生上に良いらしいので良いらしい。書いた方がいいこともある。前に読んだミア・ハンセン=ラブという映画監督へのインタビュー記事の中でその記事を書いた人が、その人やセリーヌ・シアマにとって映画は一種のセラピーでもある、と書いていた。何かをつくることが自らの心の安らぎ、精神の安定、生へとつながる。生きられる。こともあるらしい、ので、曲も曲のための日記もどちらもあばらやの佇まいであろうが生の立場から見て良いものでありうる、かもしれない。社会性は?

 今朝は昨夜の時間の快さを持ち越したまま目覚めて予約してあった美容院に向かうために上機嫌で部屋を出たが、鍵を閉めた後に部屋の鍵を持って出ていないことに気がついた。今住んでいる部屋の鍵は電子キーで、鍵がわりに暗証番号かICカードスマホが選べるもので僕は鍵をICカードにしていたのだが、それが入ったキーケースごと部屋に置き去りにしたまま出てしまっていた。上機嫌さはその事態の深刻さを飲み込みきれず、鍵は部屋の中、入れない、美容院に遅れる、電話しなきゃ、管理会社にも電話しなきゃ、などを順番にゆっくり理解してとりあえず美容院に電話したが、今日は予約が詰まっているので遅らせられませんとのことで走って向かっていた。でも信号で待っている間に今日の最後の枠にずらしてもらえることになったのでそうさせてもらった。サポートセンターや管理会社に電話して無事開錠のために来てもらえることになり、待つ間は玄関の前に座り込んで昨日更新されていた「ヤンキー君と科学ごはん」を読んで、今回はいつにもまして科学チックだったので逆に怪しくなってこれを信じすぎかも?と思ってしまったので、その漫画の調理法を監修している樋口直哉という人について調べていたらその人のnoteがあったので面白くて読んでいた。そうしている間に管理会社の人が来てくれて鍵を開けてくれたので、もうこんな過ちを繰り返さないためにICカードと暗証番号の二つを登録した。絵に描いたような失敗、皿を割ってしまうことも会社でずっこけてしまうこともそうで、それはテンプレートっぽいけど実は現実ではそんなに起こることいではなくて、実際苦笑いされてしまうんだろう。今日も以前にずっこけた時も苦笑いさせてしまった。鍵をしまいこんでしまうことなんてありそうだと実際それをしてしまう前には思っていたが、今日来てくれた人はこの事例は初めてだと言っていて動作には手探り感があった。絵に描いたような失敗、そんなことを部屋に入った後に日記に書いていて、ずらしてもらった美容院で事の顛末を話す際に「絵に描いたようなポンコツぶりで、、」といいながら「ような」あたりでこれ全然口語じゃないよという後悔が乗っかって尻すぼみになっちゃった。

 髪を切ってもらって重たい頭がすっきり、再来月の結婚式のために髪の整え方も教えてもらってふんふんなるほど!帰り際に巨大な積乱雲の中で雷がびかびか光っていて、もしかして今日で終わり?なんてことを考えながら空を録画していたらビールを買って帰るのを忘れてしまった。のでスーパーに向かって屋上の駐車場ででかくて丸いタンク越しに稲光を見て、なにやらどうも下っ腹がでてきはじめてているので小さい方の秋缶を買って帰った。風呂に入って昨日作って美味しかったなんちゃってクリームパスタをまた作って食べて飲んだ。