2020/5/16(金)

 ドクドクと脈打つ毎日。心臓の鼓動は止まることはない。激しく自分の内側で忙しなく仕事をこなしている。はたらきすぎなんじゃない?たまには休もうぜ。休息は必要だ。みんな、適度に休んでくれたまえ。僕もそれに乗じて休むから。特にここ何ヶ月かは働きすぎだ。ドクドクが大きくてはやい。

 ゴールデンウィークの平穏が終わり、忙しなく心臓の働く日々がはじまっている。ここにいるかぎり、続いていくんだろうな。また6月からは環境も少し変わって、どうなるのだろう。しかし最近は、大きな不安がいくつかあって、しんどい。しんどくない。苦手だなと思う。この仕事は大変だなと思う。泣きたくなる。そんな気持ちもあってか、早すぎるクーラーのせいもあってか、鼻水が出る。ああ、生きるのは大変だ。生きなきゃ。

 生きなきゃ。生きねば。昨日からその言葉を繰り返し呟く。あのゲザンのライブで感じた生きる意志を反芻している。まだ自分の心にあるのだろうか。最近はなんだか、どこかにいってしまったかと思ってしまう。また押し込められているだけだと思いたい。長い長い自分1人の時間を一度またつくりたい。

 今日は雨だ。やはり雨の音はなんだか落ち着くな。霧が光を反射してうすぼんやりとしている夜。

 今日は金曜ロードショー天使にラブソングを見たりみなかったりした。ああいう音楽に乗せて気持ちを表現しているのはとても好きでこちらも心躍る。自然と笑顔になる。素敵だ。音楽は偉大だ。早く自分もドカンと鳴らしたい。まだうまくはいってない。

 音楽をきいたり映画をみたりしている時、その瞬間は現実から切り取られていて、没頭している。でも一度それが終わると、非現実から切断されて途方もない、薄暗い現実と向き合わざるをえなくなる。それが生きるということなのでしょう、この苦しさと向き合うことが生きるということなのでしょう。もちろん、苦しさ以外にもたくさんの幸せはある。でもやはり、今は苦しさが大きい。振り向けば待ち構えている苦しさと向き合うことは、きつい。今日はぐっすり寝たい。心臓の音にも現実にも邪魔されず寝かしてほしい。だからお酒を飲んで煙を吸って吐いている。でもなんだか思うように酔えない。まいったね。

 最近はふと昔のことを思い出すことが増えた。小学校からの帰り道、家の間取り、廊下の広さ。中学校の校舎、友達の笑顔や触れ合い、大学の遠出、高校の部活、なんだかいろんな昔のこと、なぜだかふと頭に浮かぶ。死期がちかいのかな。そうだといいな、いいのかな。まあたぶん現実逃避だろうね。情けないね。思い出はいつでも煌びやかで心にあり続ける宝物だ。無くしたくはない。それがあるからこそ今でも繋がりを保てられる。過去は実際にあった感じた楽しさであり喜びであり事実だ。そんなものもあり、生々しい現実がねばっこく心臓に染みつく、苦しさもある。時間とは不可逆なものだなと痛感させられる。

 音楽をきこう、ギターを弾こう、ドラムを叩こう、映画をみよう、本を読もう。現実を忘れることも必要だ。でもそれを完全に行うことは、なかなか難しいな。へばりついた汚れみたいに、視界の隅に居座る。いつだって隣人だ。静かに冷たく佇んでいる。今はそういう認識だ。いつか変わるといいな。変わるのは自分次第なんだろうけど。

 ため息の日々。雨の音は何も言わずただ地面をうつ。ずっと雨でもいいなもう。大きめの傘を買わなくちゃ。濡れるのはあんまり好きじゃないから。音楽をきこう、ギターを弾こう、ドラムを叩こう、映画をみよう、本を読もう。過ぎ去りのしかかる現実に潰されすぎないように。生きなきゃ。生きているうちは、生きなきゃ。