2018/5/4(金)

 ようやく書きます、書こうと思います、残そうと思います、うーんなかなか気が進まなかった。

 4月29日に母方のおばあちゃんが死にました。こうやって文字にするだけでもなかなかしんどい。言葉にはまだ出せない。心の中で言うのと言葉に出すのは本当に全然違う。言霊とかいうけど、ほんとにそれ。言葉の力でかい。

死にましたと言うよりか、亡くなったって言う方がいいのか。意味的には一緒だけども、なんかのがれてる気がする。丁寧だからか?

 

 以前から入院していて、もう意識はなかったぽい。ちゃんと把握していなかったけど、ばあちゃんの新しい記憶はずっと病院のベッドの上。喋らない喋れないばあちゃん。見るたび痩せていってた。

 

 ずっと前から入院していた。お風呂で倒れて病院に行ったという記憶はあった。しかし今回聞いたところ、以前からアルツハイマーのようなものはあって、病院に通っていたらしい。最初に入院した時から数えるともう7年にもなるらしかった。7年前となると、自分は当時中3とかだろうか。そんなに前だったのかと驚きだ。たしかにいろんな病院にお見舞いに行っていた気がする。最後に話したのはいつだろう、思い出せない。

 

 お見舞いに行くたび悲しかったというか、なんというかやりきれない気持ちになったのを覚えている。1月に帰った時は、ばあちゃんのこと、年の低いいとこが国指定の難病になっていたこと、自分の就活のことと、嫌なお知らせが重なり帰ると嫌なことばっかだとか思っていたのを覚えている。ばあちゃんはいつ行っても喋れずこちらのことも分かっているとは聞いていたが本当かどうか分からない状態で、本当にやるせないきもち。そんなだった。

 

 もうだめそうと聞き、その日に帰って病院に行った。夕方頃ついた。ばあちゃんは個室に移されていた。三階の一室、窓からは駐車場が見えた。ばあちゃんは結構前から自分で呼吸ができなくなっていて、のどにチューブが繋がれていて呼吸をしていた。他にもいろいろ繋がれていた。肺炎も併発していたらしく、それが死の1番の原因らしい。マスクをしなくてはいけなかった。母とその妹と父と談笑。しばらくするといとこたちもやってきた。

 

 前日からだいぶやばかったらしく、その日いっぱいもつかどうか、というところだったらしい。夕方5時頃、機械の数値が下がり始め、一旦家に帰っていたじいちゃんが病院に来た時にばあちゃんは死んだ。本当の話。マンガの中でもドラマの中でもなく現実の話。ほんとのはなし。ばあちゃんは死んだ。駐車場は夕日に照らされていた。部屋には夕日は差し込んでいなかった。車は走っていた。風は心地よく入りみカーテンは揺れていた。点滴は同じペースで音を立てることなく一滴ずつ落ちていた。ばあちゃんはみんなに囲まれて亡くなった。ばあちゃんを生きていると証明していた機械はしばらくすると消えていた。こいつのさじ加減なのか?こいつが動いていれば生きていたのか?動いていても死んでいたのか?そんなことも考えた。そんなことはないが。

 ばあちゃんは死んだ。それほど冷たくはなかった。痩せ細っていてかたかった。全体的に縮んでいた。足も腕も小さく、折り曲げて寝ていた。片方の手は内出血の跡だろうか、赤黒くなっていた。もう片方は水がたまっていたのか、ぱんぱんだった。ばあちゃんの体に何が起こっていたかはさっぱり分からない。ぼろぼろだった。

 

 ばあちゃんが死んだと宣告された時、どんな感情だったんだろうか。これと言い表せるものはない。あれは悲しいだったのか。体にぎゅっと力が入っていた。黒色灰色赤色黄色緑色これらの色のくすんだやつが、クーピーみたいなタッチでぐじゃぐじゃばあちゃんの上に描かれていたような、そんなイメージ。死。よく分からなかった。

 

 帰ってからコンビニに歩いて行ったが、変な感じだった。人が動いていて、車が走っている。知らないおばちゃんと子供は自転車で走っていき、知らないおじいちゃんは家の前を掃き掃除している。それらがとても変なふうに見えた。違和感というか、鮮明というか、わからーん。あーうざい。一切合切太陽みたいに輝く、てことだったんでしょうか。

 

 その日の内にばあちゃんは施術されお化粧も施され葬儀場へ。病院の後に対面したばあちゃんは葬儀場できれいになって布団で寝ていた。

 

 みんな大人なのだからか、ばあちゃんが死んだ後も逞しかった。すぐに葬式の準備に取りかかれるし、片付けもスピーディー。大人だ。ばあちゃんの身の回りのものを持っていく準備をしながら思い出話に花が咲いていた。いとこたちもスマホゲームをしたりテレビを見たりと、いつも通りなイメージ。逞しい。大人だ。自分はこの事実を受け止めきれる器がなかったのでスマホをいじる気もおきず、考えていた。バカだからそんなに深いことでもないけど、この事実を無駄にしてはいけないと思っていた。こっちのいとこの家族は元気で明るい家庭だったためだろうか、みんな普段通りという風に見えた。母もそうだ。悲しいはずなのに、すごい。頑張って普通にしているのか、一旦蓋をしているのか、どっちかは分からなかったが。

 

 次の日はお通夜だった。葬儀場で行われた。葬儀場は、綺麗な装飾が施され豪華、盛大、と行った印象。うげ、と思った。お花が沢山あるのはグッドですね。

 お通夜は、ばあちゃんが仏教系の宗教に属していたため、お経がひたすらよまれていた。その間にお焼香をして、読み終わると同時に終わった。やはりこの瞬間はばあちゃんが死んだことを強く感じるためか、母もその妹も涙ぐんでいた。自分も体に力が入った。

 その後はご飯を食べた。おいしいオードブルとお寿司がでた。胸のモヤモヤの代わりにいっぱいお腹にご飯を詰め込んだ。モヤモヤする時はいっぱい食べたくなる。

 

 

 次の日、お葬式だった。お昼頃行われた。前日と同じで、お経を読んで、その途中でお焼香といった感じだった。ただ、この後ビデオが流された。ばあちゃんの写真と共にピアノとナレーションが流れていた。誰だお前は。勝手に喋るな、ばあちゃんじゃないだろう君は、とはらだたしかった。ピアノもうざい。いらん。ひねくれてるので、変なとこにイライラする。卒業式じゃないんだから、なんだビデオて。

 最後にじいちゃんの挨拶。やはりじいちゃんはとても悲しいだろう、泣いていた。

 その後お見送り。最後にばあちゃんとのお別れをした。お花を棺いっぱいにみんなで入れた。この瞬間もとてもつらいかなしい。みんなそうだった。悲しみで溢れていた。自分もそうだ。悲しいようなムカつくようなものすごくモヤモヤしてイライラしてムカムカしてわからん、全部ボコボコにしたかった。荘厳な木の装飾品も棺もばあちゃんも、全部ぜんぶぜんぶ。自分の一番底にあるのは暴力的衝動であるのか。あの時の感情、ぐぐぐぐぐと力が入り本当に悲しみとか怒りとか焦燥というのか、わからーん、負の感情が静かに混ぜられ煮込まれ沈み込むような、奥底でフツフツと、ぎゅうぎゅうに押し込まれているような。

 

 その後は火葬場に行き、ばあちゃんは焼かれた。1時間半くらい後、骨となってでてきた。でかいはしのようなもので骨をつまみ骨壷へ。ばあちゃんは骨になっていた。もうわからん。なにそれ。意味不明。未だにわからない。

 

 

 お葬式という、とても形式ばったものに嫌気がさした。ばあちゃんがそういう宗教だったからなのかは分からない。ただ、打ち合わせとかしていたのでやはりお葬式に共通してある形式は存在するのであろう。ビデオとか。本当にいらない。その演出必要なのか?こんな最後の最後、それいる?自分の時は絶対にビデオもいらない、順番もいらない、お焼香もいらない、なにやら持って出ていく順番もいらない。そんなことも考えた。自分が死んだ時の自分の葬式。理想的なのは、あらかじめプレイリストを作っておいて、それを流してもらう。木の装飾品とか変な明かりとか全部いらない。クラクラするしあれ。ただお花はいっぱい欲しい。棺には最後までいれず、一緒に写真とか撮ってくれ。フリードリンク、フードサービス付き。お酒飲めない人もいるだろうから、ソフトドリンクも忘れずに。ただビールは多めで。僕が好きなので。服はtoeのTシャツで。ビールも飲ませてくれ。死んでるからどこを骨折しても問題ないので好き放題してください。ライブハウスなんかでやるのもいいな。その時は追悼の意をこめてライブしてくれたらとってもうれしい。Yellow Tapeとかtitleとか自分と関わりのある好きなバンドに来てやってほしい。最高。だれかに支えてもらって一番前で見たい。死体だけど。ただ家族の要望もあるだろうから、そこは折り合いをつけて。二部構成でもいいし。後は煮るなり焼くなり好きにしてください。

 

 

 ばあちゃんの死、この事実に蓋をして終わらせてはいけない。悲しいつらいから蓋をする、立ち直る、だけではダメなような気がする。自分は幸運にも大学生で考える時間はまだある。身近な死を受け止め考えるべきではないだろうか。ばあちゃんは死んだ。死んだんです。心臓は止まり、呼吸も止まり、体中で動いているところは1つもなかった。今はもうその体すらない。私の心臓は動いている、呼吸もしている、細胞は死んで生まれ変わっている、生きている。当たり前だ。けど変な感じ。

 ばあちゃんのお見舞いにいくたび、ばあちゃんの状態に疑問を持っていた。死んで楽になる方がいいのではとも考えていた。自分は孫だから、母にとっては母なのだからか、そうしていたのだろうか。自分の母もそうなると、自分も延命措置をとるのだろうか。単純に日本人的な部分なのだろうか。わからない。ばあちゃんはその時は自分の意見すらいうことはできなかったらからそうするしかなかったからか。私はとにかく延命措置はとって欲しくないと、今は思う。ただ本当に瀬戸際に立ってみると考え方は変わるのかもしれない。ばあちゃんが死んだ時、あの瞬間、その前後では世界が全く違う。ばあちゃんがいた、いない世界。あの瞬間、境目だった。死には大きな意味があると思う。やはり自分は死を軽く見ているなとも感じた。

 

 ばあちゃんは死んだ。死んだ。お布団の中だった。お化粧もされていた。みんなは周りでご飯を食べていた。久しぶりに会う親戚や友達とお話をしていた。こういう時にだけしか会えない友達や親戚もいるのだろう。なんだか皮肉である。ばあちゃんの死は悲しみだけでなく、親族の繋がりも運んできた。死という大きな出来事がないと集まらないのか、という見方もできる。そんな時だけに集まって生きてる奴らだけで話して、なんだ、ただの理由なんかばあちゃんの死は。ばあちゃん死んだし久しぶりにみんなの顔見に行くかーてか。いや、違う違う、そんなことはない。逆だろう。

 みんな悲しいにきまっている。それを汲み取れない自分がだめなのだ。そういう場だからそういう風に振る舞おうとやっているやつなんか1人もいない。死はそこにあったのだ。わかりやすく、具体的にそこにあった。ばあちゃんは死んでいた、そこにあったのはばあちゃんの死体、亡骸。

 ばあちゃんなのか、ばあちゃんの亡骸なのか。あの機械の波が止まった時点でばあちゃんはいなくなったのか、お医者さんの「ご臨終」の一声でばあちゃんはいなくなったのか、

そこにあったのは「ばあちゃんだったもの」なのかばあちゃんなのか、本質はなんだ、中身か、外身か、そもそもどっちかとかではなく「死んだばあちゃん」なのか、わからん。その時点でばあちゃんの体はそこにいたし、みんな話しかけていた、触れていた。細切れにしてハンバーグにして食べてなくなったわけではない。

 その後焼かれて骨になったが、それがばあちゃんなのか、

 

死が本当にわからん、なにがわからんのかもわからなくなってきた。なにかにとりこまれそうだ。

とりあえずここまで、区切り、また今度、、

 

 この事を書くまで時間がかかった。日記も書いてなかった。かこう。