2019/8/19(月)

 仕事終わり、駅ビルの中にある立ち飲み屋で20分だけ飲んで、GEZANの映画を見にいった。電車を乗り間違えてしまって間に合わなかったが、走って向かった。20分くらい遅れて到着。真っ暗で人がいるかどうかすら見えなくて、端っこの方にこっそり座った。

 アメリカツアーから全感覚祭までのドキュメンタリー。感動した。映画が終わってしばらく動きたくなかった。ドキドキしていた。出会った人々、直面した現実、葛藤。それら全てを纏い形にならないまま吐き出し表現している姿。感動、羨望、憧れ、それを見た時そんな心持ちだったように思う。かっこよかった。大きく口を開けて目をぎゅっとつむり、顔をしわくちゃにして歌う姿がかっこよかった。

 

 最近、自分の中が変わっているように感じる。小学校か中学校の頃、一度だけ似たような感覚に襲われたことがある、今よりもはっきりと。変わる前はどうだったか、変わった後はどうだったかは思い出せないのが悲しい。

 現在は変わろうとしている、そして考えている。いっぱい怒られて、自分を削り出されたんだと思う。上司に自分を暴かれた。でも、大丈夫だ。そんなに卑下しなくていいんだよ。だめだ、思いつかなくなった。

自分をはっきりさせているところなんだ。言葉もうまくでてこないし声も小さいし舌足らず、意見も考えもいままで確固としたものを持っていなかった。意見は持とうとしていなかったと思う。平和主義、という傘に隠れた逃げ越しの自分。誰にも嫌われたくなかったんだ。自分で意見を言うのが怖かった、否定されるのが怖かった。バシバシ意見を言う人が苦手だった。他人の目が気になっていた。

 会えないのが悲しいから別れると言う感情がわからなかったけど、無意識に自分で体現していたんじゃないか。ばかばかしい。わかったつもりで全然わかっていないことだらけなんだ。昔も今も。

 こういうのは過去の話にしておこう。これからは変わるんだ、変わるんだ。

 映画を見て、自分もああやって表現したいと、感じた。まだ生きている。自分の誇れる好きなところだ。昔の理想の自分は今では腐ってしぶとくへばりついている。お礼を言って綺麗にしよう。別れではない、磨こう、つくりかえよう。