2019/11/17(日)

次の日なんか知るか!明日の僕、がんばれ!という風にお酒を飲みおでんを頬張る。よく染みた卵は少しかじるとホロホロの黄身がつゆに溶けていく。いつもなら明日を思ってとてもしんどい日曜日の22時半になぜこんなことをしているのか。それは晩御飯に行った焼肉居酒屋の量の不満足さと、お別れに対しての思いがあるからだ。

 広島にきて意気揚々と組んだバンド、その発端の人が東京に行くらしい。そのお別れ会的な感じで、今日は駅の近くの焼肉居酒屋でご飯を食べてのんだ。

 お別れだ。すごく短いし数えるほどしか会っていないが、とても尊敬する人であるし、もつといろいろ話を聞きたかった。そんな人とお別れ。自分は今までお別れを強く意識したことはなかった。それはやはりその気になればいつでも会えるという楽観的なダメな心のおかげだと思う。でもやはり、あのときのはお別れになるし、他にもいっぱい、お別れはしてきているはず。鈍くて重い心がそれを捉え切れて、捉えようとしていなかった。今回はお別れということをなんだか強く感じた。それはやはり、付き合いの短さもあると思う、つながりの薄さも、あと距離的な問題も。不思議な感じだ。あの人はとても優しい人で、博識で、自分を強く持ってて真っ直ぐで、柔軟で、とにかくすごい人というイメージ。すごい短い付き合いで片鱗しか見えてないんだろうけど。ただやはり、もっと話したり会ったりしたかった。とても残念です。最後にあの人は僕の心配もしてくれた。ずっと会社がしんどいと言っていたから、鬱にならないか心配してくれた。ありがたい。

 

 お別れ。やはり、寂しい。今までほったらかしにしといたくせに、いざいなくなるとなると途端に寂しがる、ずるい心だ、汚い。でも、そんなもんだと思う。なくなってからでしか僕らの多くは気付かないんじゃないかな。きっと、毎日の素晴らしさも日々の美しさ、儚さ、大事さ、そんなものはなくしてみないと気づかない、愚かな、少なくとも僕はそうなんだ。みんなどうなんだろう。日々を大事に噛み締めて喜んで感謝して生きているのかな。そんなものわかりようがない、テレビの馬鹿みたいな街角アンケートなんかでわかりっこない。幸せかなんて、どうやったらわかるんだろうね。幸せでありたい。お別れも、悲しい。