2020/2/22(土)

 川沿いを歩いている時に吹きつけてくる激しい風が、甘えてくる大きい犬みたいでなんだか可愛かった。

 この街が愛おしい。歩くたびに染み込んだ思い出がじんわり滲み出てきて、靴に染み込む。それはとても心地よい感覚だった。

 

 

 余すことなく汲み取りたい。今日高知に来た。帰ってきた。みんなおかえりと言ってくれた。いでも心はまだここにある。置いて行ってしまっている。いまだに離れない広島の街は今でもどこか馴染めなくて、自分と街がずれている気がずっとしている。ここに帰ってくると。懐かしさと違和感のなさが同居している。ここがやはり今の自分の居心地の良い居場所なのかもしれない。みんなと会って、すごく楽しかった。この場所に来て、いろんな思い出を踏みしめた。じんわり自分の中に広がるそれらは、懐かしさとともに自分本来のものを引き戻してくれた気がする。これは帰省と呼べるものだと思う。好きな人たちと好きな場所。想いが溢れて止まらない。ずっとみんなと一緒にいたい。ずっとこの場所にいたい。でもこんなおもいが溢れ出てくるのは、その場所に今自分がいないからだとおも思う。それはとても悪いことではなく。愛だ、これは愛と呼ぶことができるものだ。おかえりと言ってくれる人がいて、懐かしさと違和感のなさを感じることができる。この気持ちは愛だ。愛と呼びたい。僕はこの場所が本当に好きだ。いつまでも依存してしまいそうだ。危険なほどの愛だ。現実とはかけ離れたところにある。現実はあまりに過酷で、逃げ場はない。そこで生きている。でも今日はそこから離れる。逃げる。僕は命をかけてこの場所に来ている。この場所で、この人たちと過ごして死ねるなら本望だ。そんなことさえ思えてしまう。自分の浅はかさと本気さは近い位置にいる。自分にはあまりに重すぎる現実を生きているせいで、そんなことを考えてしまう。命、難しい話だ。でもそんなことを難しく考えること

なく率直に表してしまいたい時もある。今がそれだ。愛を持って、この世界を生き抜きたい。

 バイバイ、またねと言える友達たち。好きだ。今日はそれをちゃんといえた。よかった。みんな本当にありがとう。好きだ。もっと、触れ合いたい。いっときの楽しさを求めるとかそういう軽いものじゃない。1日を、一瞬をかけている。そこに、こめている。そういう気持ちでここに来ている。いつまでも終わりたくはない。ごめんね。重くて申し訳ない。みんな大好きだ。遺書を書いておかねば。いつ死ぬかなんかわからないから、みんなに伝えたいことを書いておかないと。僕がこの場所をどれだけ好きか、みんなをどれだけ好きか、書き残しておかないといけない。やはり毎日遺書みたいなのは必要だ。前々から思っていたけれど、本当に書かないと。日々を、愛を大切に生きたい。ごめんなさい。できていなくて、ごめんなさい。生を大切にしないと。死際とは生き様だ。生きているうちは、自分が思う生き方をしないと。難しいな。死なんて、こんな現代じゃ遠いものになってしまった。死なんてものはいつまでも僕らのそばにいるものなのに。当たり前のものなのに。陰に潜むものなのに。一歩違えば、踏み越えてしまう境界線であるはずなのに。もっと、もっと生きねば。死を意識しないといけない。それらはいつでも私らの寝首のそばに鎌を構えて潜んでいる。

 本望だと言ったのは、半分冗談で半分本当だ。この場所は今でもホームだ。愛している。思い出一つ一つがとても細かい粒子でぶつかってくる。ぶつかっていく。それがとても心地よいんだ。ごめんね。ありがとう。好きだ。僕はこの場所にあと何回来ることができるんだろう。バンドでもきたいな。遊びにもきたいな。此の場所は、今の自分形作っている大きな場所だ。大好きだ。

 

 こない電車をまつ。そんな気持ちは今でも変わらない。