2020/3/28(土)

 3本目。自分の何十分の一のサイズの一本だけど、身の丈にあってない一本なんだろうな。煙は相変わらずまずい。ただ酔っている時は、気分がいい。

 今日は雨だ。昨日よりかは湿気は幾分かまひだ。雨の音をじっくり聞いてみると、心地よい。頭上何メートルから降り注ぐ水玉、それが地面にぶつかる音、きらいじゃない。風も弱いし少し外に出ても気持ちいいかも。

 最近はどうだろう。日に日にあの場所とあの人が恐ろしくなっている気がする。少し強く言われると頭が固まる。脳味噌のシワがなくなる。同じ言葉を繰り返すだけのでくの坊に成り下がる。よくないね。そんな気持ちがmosの勉強の原動力となっているのかもしれない。早く転職したいという思いが日に日に強くなっている気がする。

 音楽、好きだ。今日はClimbthe mindのライブDVDを見ている。やっぱり好きだ、かっこいい。あんな風に言葉を紡ぎながらギターを引き倒したい思いも心の一部分に存在している。でもこれは中途半端にギターを弾ける慢心からなのかもしれないから、その領域に踏み出すのにはもっと考える必要がある。というか、自分はドラムだから。でもこの自分はこうだからと決めつけて道を狭めてしまうのも良くはないよね。やりたいことはやりたい、その気持ちは持っていたい。DVDを見ていて思ったけど、音楽、バンドの奥深さ、難しい。音と音を重ねて一つのものを作り上げる。一つ一つ、ギター、ベースのコード、ドラムの叩くところ、その一つ一つを見ればそれらは確固としたものなのだけれど、大きく見ればそれらが合わさって曖昧なものになって、しかしそれらがかっちりとあわさって一つのものになっている。少し前に見たゲザンのマヒトゥーの言葉の影響もあると思うんだけど、曖昧なものを曖昧なまま吐き出すのが良いと感じている部分が自分の中で強い。だから今作っている曲も曖昧な部分が多い。その曖昧を愛している。でも前みたいに、自分が作ってバンドに持っていった曲を大きく変えられてしまうと心がしんどい。曲との付き合い方が難しい。でもやっぱりぼくはぼくのエモを鳴らしたくてバンドを組んだんだ。譲れない部分はある。だからこそのしんどさだ。一つのものを作り上げるのは、とても難しくて、乗り越えるべき壁とか妥協点とか、新たに見出せる道とか、そういうものの積み重ねで一つのものが出来上がっているんだろうな。こういうしんどさも必要なんだ。6拍子の大きな改変を経てできたもの、そこに感じる心の固くて重い石はそれである。それが負なのかそれとも良なのか、まだ測りかねる。でもやっぱり、鳴らすのはバンドでなんだ。良でありたい。良にしていくよう、動きたい。ドラムで、変えていきたい。

 主旨がよくわからない文を書いてしまう、でもこれが酔っている時長く意味がある文なんだ。付き合っていきたい。

 バンド、難しいな。自分が作った曲が100%いいものであるとは限らない。だから、改変は必要で、これこそが最高!なんてものも存在しない、時と共に価値観は変化し、良いと思うものは変わっていく。僕らのつくるものなんだ、僕らがいつどうやってかえたって咎める権利を持っている人なんて、自分を含め誰もいない。いつだって心は曖昧なんだ。不安で、不安定で、ゆらゆらうごめいている。うごめいてなきゃだめだ。感性を殺すな。こんな泥沼を這うような毎日でも、ぼくの信じるものをもって、生きている内は生きていたい。死なんて、いつやってくるかわからない。ぼくの目の黒いうちは、その感性に従って、つくりあげていきたい。言葉を紡いでギターを鳴らす。ドラムを叩く。ベースのおとをきく。つくりあげる。今現在のありのままの曖昧を形にして、ドカンと鳴らしていたい。これから、いつまでも。

 4本目。身の丈に合わない小さな紙の筒は煙になって縮んでいく。