2020/1/31(金)

 バスはやっぱり一番右奥が落ち着く。今日は違うところに座ろうかと考えたけど、やっぱり右奥。なぜだろうか、就活の時によく座っていた位置だからかな。就活の時は決まって10A、空いてなければ10CかBを狙っていた。あの時も小刻みに揺れる椅子の上で膝を抱えていろいろ考えたり寝てたりしてたな。誰にも見られないというのもポイントかな。とにかく、他の席より落ち着く、バスが好きな理由の一つ。

 

 日々は大変だ。でも、少し前と比べるとだいぶ良い。ギターを弾いているし本だって読む。音楽もきく。曲を作ったりなんかもしている。か少し前には考えられなかった。今から思えばなんていえるのも、回復した証拠だ。長い休みとお薬と職場環境の変化とバンドのおかげだと思う。

 でもやっぱり、あそこにいくのはいつも気が重い。朝なんか最近起きられない。半年足らずであの場所は、あんまりいきたくない場所というふうに頭にゴリゴリすりこまれた。硬い石でアスファルトの地面に絵を描くように、ごりごり。そして結局、少し前の自分は今の自分と切り離された存在にまだなっていない。心が沈む、くすむ、くしゃくしゃにしぼんでしまう瞬間が、時間が、時々訪れる。ああ、まずい、まずい、と思う。まだそこにいる。トイレのドアの前に、もたれかかったあの頃の自分の残像が、古い家のしみみたいにこびりついている。いつの日かきれいさっぱりなくなる日がやってくるのかな。でも、あれだけ心がボロボロになった状態を経験した、残っているというのは絶対プラスに働くことがある。そう信じたい。曲をつくる肥やしになる。そうでもしないと、というかそうせざるをえない。僕の心から曲は生まれるのだから。心なんて一生不安で、流動的だ。掴みようなない実態もない形もない。色も感触も臭いも大きさも、ない。なんにもなくて全部ある、そしてそれらは変わり続ける流動的なものであると、思う。考え方なんてどんどん変わっていく。変わっていくことにすら気づけないんだろうな。日々は、大変だ。この先どうなっていくんだろう。

 原因をなんとかしないことにはどうにもならないけど、そこを排除してもまた別のところで似たことにならないとは限らない。その可能性の方が低い気さえする。でもびびって動き出さなくては何も変わられない。でもでも、まだここで学ぶべきことがあるんじゃないか。そんなかんじで、相反する考えがいったりきたり。大変だ。