2/26(土)

 どんな経緯があれども、何かの脈絡の先にその決断があってはならないだろ!経緯も道筋も理由も繋がっているようではあるが、その事実、戦争や今回のような侵攻は、どこからも独立している確かな間違いであるはずだ。国という大きな単位を担う人達、その大き過ぎる単位の決断によってその単位の中に存在する確かな一人達の存在は淡いものにされている。なんで、どうして。多大なる破壊や死や痛みなんか人為的に起こしていいはずがない、そんなものはただ流れる自然の中にあるもので手一杯だ、それすらも悲しいのに。避けられるべき、起こらない起こしてはならないということが絶対的に前提にあるはずだろう。なんでだよ、理解なんて示すなよ、その決断のみは断固として拒絶するべきだ、あってはならない。この決断を行った彼の中にはきっと自分が想像もできないような背景が、のしかかる重責や煩悶、積み重なった時間があるのだろけれど、その中で、ああ、その決断にいたることは、なんで。

 

 抗い続けなければならない、夜勤の掃除が終わっていつもは食べないカップ麺を食べ、丸い背中で外を歩いている時に考えた。なんとしても、その確かな間違いには抗い続けなければならない、自分の生を鳴らさなければならない。そして、今自分が向かっているところは一人で行かなくてはならない。一人でもできる曲をつくろうか、そう思った。その確かな間違いに断固として抗う曲、そしてその間違いというのは、自分の向かっているところにも当てはまることなのかもしれない。向かいながらも抗うのか、死の影の生を見つめる、それは抗うというのとは少し違う気もする。しかし、他者から見ればそれは確かな間違いではあるはずだ。その確かな間違いの中で、叫ぶ。煮詰めたりほったらかしたりして考えよう。

 

 今はただ、いやいつでも、この今をこの今の生を叫び鳴らすのは変わらない。悩め悩め、この懊悩が迷いが、全部全部が、闇へと飛び込む力をくれる、全て引き連れて進むんだ。もっといい、もっと良くなる、もっと吐き出せる、感情を全てこの音の一つ一つに重なりに、滴り落ちるほど染み込ませるんだ。足りることはない、ただただ沈んでいく。