2020/8/28(金)

 悲しいな。とにかく悲しい。蝕まれる、蝕む心。前にも書いた、自分で丁寧に作った縄でゆっくりと自分の首を絞めていく日々。毎日、順調に絞まっていく。いつ息が止まるのかな。早く止まればいいな。楽にはなれるのか。きっと苦しいだろうな。こんな悲しい言葉にきっとを使いたくないけど、そうだろうな。頑丈な縄だから、断ち切るのも解くのも容易ではない。自分の現状も、世間の現状も、不安という形で縄を強く固く補強している。感動する心が、なくなっていっているような感じがする。そうであって欲しくない。侵食する脅威から、縮こまって逃げて隠れているだけだと思いたい。でも逆に考えると、こうやってまだあって欲しいと思えているということは、それらがまだ見えていると言えるのではないだろうか。即ちなくなってはいない、のではないだろうか。きっとそうだ。うん、そう。大丈夫。大丈夫だ。きっと大丈夫だろう。こう使いたい。

 悲しい知らせは絶えず入ってくる。なんてことだ。おお神よ、どうか私以外の人類に幸せがあらんことを。都合の良い時だけ頼ってごめんなさい神よ。おお神よ。

 

 

 意欲が、あったはずの意欲がけずりとられている。それは確かだ。現に帰ってタバコを吸って横たわる、そんな日が続いている。悲しい。自分のせいで自分の問題だ。けれども悲しい。できないことが悲しい。じゃあやれよといわれてやれれはばなあ。弱い自分で、ごめんなさい。ああ、ああ。

 「成し遂げようとしてはならない。やりたいことをやりたいようにやるのだ。」そんな言葉が、とても胸に刺さった。しかしその言葉通りに生きられてはいない。生きたい。命あるうちは、その命は短い方がいいとは思っているけれど、その短さの中で、生きたい。のだけれど、ねー。もう、うまく行かない日々は続いている。不安定な安定は今なお続いている。どうなってしまうのか、先なんか見えない見られない。雨粒が雲から地面に落ちるような人生だけれども、そんな中ですらうまく生きられない。生きられていない。脈打つ日々。

 来週はライブだ。どんな感じだろう。バンドとして曲がかっちりうまくいってないし100%満足いってはいないから、どうだろう。、でも思い切りやりたいしやらなければ。