2021/8/21(土)

 最近は割と高い頻度で日記を書いてはいるものの、とても情けないことばかり綴っている。過去の大きな大きな失敗はじっとそこに佇み否が応でも視界に入る。ビクビクしている。変な事ばかり妄想する癖も治らないし、切れ味のない刃を手袋をつけたまま握っているせいで手のひらの真ん中が少し赤い。だけど今のところ、前の時よりかは大丈夫だ。たまに褒めてもらえたりなんかもする。たまに高純度の苛立ちのようなものをぶつけてくる人もいるけど。再来週から別の班に異動になる、一緒に入った派遣の人が辞めてしまうので、その穴埋め。別の班の人はどんな人なのか知らないから少し不安である。なんとかしたい。

 最近のニュースはハッピーなことがあまりなくて、ニュース見ないといけないなと思ってつけてはみるものの、すぐに消してしまう。ものすごい、超自然的な力がはたらいて、週明けになったらなにもかも良くなってたらいいのに。

 今日は途中からになってしまったけど、フジロックの配信でenvyを見た。かっこよかった。鳥肌ものだった。簡単な人間だから、自分も音が出したい!なんて思ったりした。

 少し前に怖いことがあった。玄関を凄い勢いでドンドンと叩いたりドアノブをガチャガチャされた。何事かと思って動けなかった。しばらくすると隣から物音と話し声が聞こえてきたので、部屋を間違えたのかなと、恐怖を無理矢理そこに着地させた。今のところ2回目はない。

2021/7/2(金)

 暗くてわからない。ボソリと1人家の中で呟いた言葉。ふわふわ宙を漂って跳ね返って自分に染みる。暗くてジンをコップに入れすぎたから呟いてみたけど、暗いからわからないのか。あの頃は暗かったのかな。一寸先の闇の中、なんて歌詞にしてみてるから、暗くてわからなかったんだろうな。暗いとわからない。僕らの目は暗さに慣れてはいない。いつだって明かりが必要だ。早く自分の曲をやりたい。8月までには形にしてYouTubeにあげたいと思っている。練習、練習しないとだ。あげたところで何かが起こるわけではないけれど、今したいことをして、それができたらまた先に進めると思う。最近は曲を作っていなくて、できている曲を自分の中から外に出したいと思っていることが大きい。アウトプットは大事だ。これを行うことによって、また先へ進めるように思う。今自分がやりたいことをやるべきだと思う。死は隣人だ、いつやってくるかわからない、できるだけ早く生を終えたい、そんなことを毎日毎日思っていたら、それが真実で絶対そうなると思い込んでしまいそうだ。そうなってもいいと思う。死を感じて、今生きているこの生をひたすら精一杯生きれたらなと思う。だから急いでいる、焦っている。だけれども、焦りは禁物だ。焦って本当にやらなければいけないことをやらないということはあってはならない。焦らず、急ぐ。それは、やるべきことを確実に行うかつそれを早く行えることだと思う。丁寧にやらなければいけないことを確認して、それの実現のために素早く動く、そうしたい。だから今自分のやりたいことを早く冷静に的確に満足できるような形でやりたい。焦り過ぎは禁物だ。焦って周りが見えなくなってはならない。考えるべきことをおざなりにしてはいけない。考えて考えてしたいことやるべきことを確実に見つけて行って、生きていかなくては。残された時間は少ない。今まで生きてきた年月を考えると本当に少ない。だからこそ、今を生きて瞬間を捉えて形にしていかなくてはならない。自分の音楽が認められようが認められまいがそんなことは二の次だ。自分のしたいことを100%に近い形でどれだけできるかが肝要だ。結局今自分がやりたいと思っていることは、自分が納得できなければ意味がないのだ。逆に言えば、誰にも認められなくても自分が納得できればそれでいいのだ。今自分が考える最善の形で最適解で行えればそれでいいのだ。自分で納得できなければいけないのだ。だからこそ、そのために必要なものをかき集めて不必要なものは削っていかなくてはならないのだ。他人に合わせていてはだめだ。自分が、自分がって、とてもエゴの塊だけれども、こんなことをやっているのだからしょうがない。それが1番だと思う。共感や感動を得られたのなら儲けものだ。そうであったらそれはそれで嬉しいけれども。やはり一番大事なのは自分がしたい形でできることだ。そうでなくては意味がない。やるぞやるぞ。やりたいしやらなければならないぞ。

 

 できればこのままずっと、これくらいの酔っ払い加減でおりたい。音楽が沁みて、本が沁みて、いろいろかんがえられて、これくらいでいたい。シラフでなんか生きてられないよ。お酒、少し頭が緩くなったくらいが丁度いい。複雑なしがらみが解けて、自分が考えたいことを真っ直ぐに考えられる今が心地よい。でもこの考えは、シラフの日々があるからなんだよな。あらゆる瞬間や経験が全て自分の肥やしになっている。何かが欠けていたらとかそんなんじゃなくて、着実に過ごしてきた今があって考えがある。過去があって今がある。積み重なってきた今がある。今の積み重ねだ。それがあるから今が大事だと思える。最新、最前線が大事でそこで発出していないといけないと思える。最前線はそれまでのものすべての上に成り立っている。どんどん今を積み重ねていかなくてはならない。バランスを崩して全てが崩れ去ってしまいそうな時もあるかもしれないけれど、グラグラのバランスでなんとか最前線で生きている。そのグラグラの上で鳴らしたい。どんなに不恰好で不細工だとしても、これが自分の最前線だ。今をならせ。いま、いま!いまだ、形にしなくては。

2021/6/22(火)

 今日から、というか昨日から夜勤が始まった。やはり長年染み付いた体の生活リズムには完全には抗えない。深夜は眠たくなるし時間が経つにつれ体の操作性は鈍くなっていく。早くこのリズムに頭と体を納得させなければならない。こればかりは、頭で考えるだけではどうしようも無い。1日1日を積んでいかないと。

 この先どうなるかなんてわからない。今はまだ最初だから、教えてもらっている段階だから。この先が大丈夫になるために、必死に考えて選んでいる。会話の一つ一つから、少ない経験則と、まだ出会って日の浅い人達の性格とか感じ方の推測と、反射で、数ある選択肢の中から一つに飛びついている。これらが正解だったか不正解だったかわかるのは当分先の話だ。わからない。なんとか正解を紡いで大丈夫な未来を迎えられるようにしたいものだ。あの人たちの頭の中のボーダーラインを下回らないよう、考えて見極めて、そんなフリをしていかなくてはならない。今日のあれはだめだったなとか、あそこは良かったなとか振り返ったりもする。飛びついた選択肢の実績はどんどんついていっている。あの人たちの中で私という人が形作られていく。なんとか良いもの、悪くないものにしなければ。必死である。緊張を解いてはならない。常に張り詰めて目を配らせて考えて行動しなくてはならない。自分の時間を大きすぎる不安に侵食されて動けなくなってはならない、なりたくない。明日も、頑張るぞ。

2021/6/18(金)

 音楽、バンド、曲。何のために曲を作っているのか。何のためとか、考えるのが必要かと言われればそうでもないのかもしれない。渦巻く思い、考え、表現したい、音にして発したい。自分の形を確認しているのか、なんなのか。何のためとかじゃなくてこうしたいから、したい、欲、ドバッと吐き出したい。今作ってる曲たち、言葉が入ってさらにいい形になるのかもしれない。曲をつくるにはその土台となるイメージ、考えが必要、自分の場合。そのイメージを、勿論曖昧なままというか、言葉にせずともそのイメージさえあればいいのだと思っていたのだけれど、言葉にしてそれをのせると、更に良い感じがする。これはこうやって、日々考えたこと感じたことを日記としてここに残しているからそう思うのかもしれない。自分の気持ちとか考えを何とか形に残したい、そう思って始めた、ような気がするこの日記。言葉にしたかったのかもしれない。ただ言葉にしてしまうと意味に縛られてしまう。だから言葉を使うのには慎重にならなくてはならないし、使う言葉、使わない言葉を選ばなくてはならない。選ぶためには選択肢を持たなくてはならない。言葉にできない感情も勿論あるだろうけど、できるだけはっきりとしておきたいのだと思う。自分のしたいこと、できること、発したいこと、だしたいこと、こと、こと、どうしたら、こうしよう。曲をつくる。YouTubeにのせようと思っているけれど、それはなんのためなんだろう。自分が曲をつくるのは完全に自己満足の世界だと思っていたけれど、SNSにあげたいと思うのはなんでなんだろう。承認欲求というやつなのか。アウトプットのひとつの方法としてなのか。自分が生まれたこの時代の流れに流されているだけなのか。アウトプットは必要だと思う。誰の目にも触れられることのない日記に記すだけでも、考えとか言葉とか自分の中で増えて洗練されていっているように感じる。そしてそれは、他者の目や耳に向けることで、それを意識することでさらにアウトプットの質というか、自分に戻ってくるものが大きく、その先が見えてくるのかもしれない。わからない。

 とにかく今はいまつくっている曲たちを完成させたい。はやくつくりたい。そしてそれをSNSにあげたいとも思う。ライブがしたい。そのためなのかもしれない。空想、空想が止まらない。自分に都合のいい空想ばかり。気持ち悪いな。何をどうしたいんだ。もう、ライブがしたい。力いっぱい表現したい。したい。形にして先に進みたい。今の自分を形にしたい。一瞬をたやさず残したいし過ごしたい。洗濯物の揺れ、通りの家族、その美しさに立ち止まりたい。生を感じたい死を感じたい。生きる、生きている、早く終わりたいのであるならば、その生を力いっぱい生きなくては生きたい。そしてそれを形にして発したい。

2021/5/31(月)

 明日から、仕事がは始まる。あー、始まる。どんなだろう。色んな気持ちが行ったり来たりして、部屋の中を歩き回っている。ウロウロウロウロ。一昨日引っ越してきて、片付けしたり色んな買い物をしてお金をいっぱい使ってしまったり、あっという間に3日経ち、明日から仕事だ。前の職場も6月から配属だったな。嫌な同じ。苦い煙を吸っては吐く。吐く。新しく住み始めたところはとても田舎で、周りが田んぼと山に囲まれていて、前に住んでたところと比べたらとても良い。カエルの声と車の音しか聞こえない。その音に溶けて混ざってゆらゆらと消えてしまいたい。スーパーがとても遠いので昨日と一昨日に買い溜めした食料の中のカップラーメンを今日は食べた。料理なんてする気が起きそうにない。スーパーは遠いし、包丁を実家に忘れてきちゃったし。明日から出勤。またああなったら、どうやって戻ったらいいんだろう。街灯は無い。暗い夜道を自転車で買い物に行くのは怖いから、できるだけ休日の明るくて余裕のある内に買い物を済ませたい。相変わらず不味い。吸っては吐く。今のところ、臭く無い。車が6月末か7月頭に届くらしい。楽しみである。お金は大丈夫かな。どんな感じなのだろう。やっていけるかな。なんとかやっていきたいな。大分日は長くなったけれど、もうすっかり暮れた。はてさて、はてさて、とりあえずもう1本。

 

 夜22時も折り返しの今、意外と落ち着いている。動作の一つ一つが確かだ。これは心の防御反応なのか、不安を包んで隠して端っこに置いているのか。不安という言葉を打ち込んだら、ゾワっとした。やっぱり端っこに追いやっているだけで、そこにあるんだな。そりゃそうだ、逃れられない。不安だよ、不安だよ!怖い!始まってみたらなんてことなかったな〜、なんて言いたい。相変わらず変な癖は消えない。プレイリストを作ってみた。いつも作ってるみたいに上からききたいのを次々入れていくやり方じゃなくて、初めにClimb The Mindの歩みを入れてそこから次にききたいものをなんとなく入れた。11曲くらいに収まって、みんなが作ってるみたいな感じにできた気がする。いい感じ。

2021/4/30(金)

 ハロー。挨拶の言葉。なんとなくカタカナの方が心地よい。

 去年の10月末に買ったオーバードライブ、今年の2月に高知の居酒屋で使った日から音が出ない。しばらくなんの気無しに放っておいたのだけれど、最近になって使ってみてもやっぱり音が出ない。今つくっている曲がオーバードライブをいっぱい使いたい曲だから、使えないのがとてももどかしい。歪み、音沙汰無し。友達のアドバイスも受け、購入元のstiffslackに修理依頼のメールを、持ちうる丁寧な言葉を寄せ集めた文章で送ってみた。販売元のキョーリツコーポレーションに聞いてみてくれるみたい。修理してくれることを願う。オーバードライブ、使いたい。後他のエフェクターも買いたい。今頭の中に思い描いている欲しいエフェクターは、リバーブディストーション、それとチューナーとパワーサプライ、パッチケーブル。どかんと全部まとめて買うこともできるけれど、あんまりお金使いが荒くなるのも怖いので、少しづつ集めていこうかなと思う。全部揃う日が待ち遠しい。

 仕事を辞めて実家に帰ってきてはや2ヶ月ちょっと。新しく入社した会社のweb研修が先週から始まって、ようやく地元に帰ってきて住んでいるという感覚が芽生えてきた。地元はやはり、18年過ごしてきた場所ということだけどあって、細胞レベルなのか、とても馴染む、心地よい。田舎で、空は近くて雲の形ははっきり見えて昼間も夕方も綺麗で、静かで、風が車とかビルとかのせいで吹く風ではなく自然なものと感じられて、とても良い。仕事を辞めたことプラスそのおかげか、とても心が穏やかな気がする。家族がいるし9時から18時まで研修だから1人でぼんやり考える時間は少ないけれど、落ち着いている。布団に入ってから寝るまでの時間が短い日も増えた。いい傾向だと思う。

 実家の近くに、庭に犬を放し飼いしている家があって、時々そこを通るんだけれど、家の前に行くとその犬が近くにきてくれる。最初の頃はそんなことなかったけれど、何回か通るにつれて、犬がワンと一回吠えて近くに寄ってきてくれるようになった。最初は近くに来て柵の向こうで座るだけだったけれど、最近は柵に身を乗り出してきてかれる。とてもかわいい。撫でたら手を舐めてくれてピーピーないてくれる。今日は自転車で近くを通ったんだけれど、やっぱりワンと吠えて近くに来てくれて、また頭を撫でさせてもらった。あんまり長いこと戯れていると、家の人に変な人と思われるかもしれないからすぐに立ち去るのだけれど、今日は家の敷地目一杯最後まで追いかけてくれた。離れても吠え続けてくれて、ごめんね〜とか思いながら、懐いてくれてると勝手に思って名残惜しく家へ帰った。実家にいるうちは定期的にあの犬に会いに行きたい。名前は知らないけれど、知りたいな。撫でているところに家の人が出てきてくれて、事情を説明して庭に入れてもらって、犬と一緒に遊びたい。そこまで妄想した。こっちにいる間にそんなことをしてみたい。

 近くのコンビニには、お酒を飲むときに吸っているタバコが置いていない。アメスピのオレンジ。普段は電子タバコを吸っているのだけれど、お酒を飲む時には紙タバコ、アメスピのオレンジを吸う。そのオレンジがもう無くなっちゃったんだけれど、近所のローソンにも置いていないし、海の近くのファミマにも置いていない。困った。明日はもっさりしてきた髪が鬱陶しいから切ってもらいに行こうと思っている、のでコンビニを回ってみようかな。やはり人は少ないし値段が高いから需要が無いんだろうか。

 前にこうして夜遅くに外でタバコを吸いながらお酒をのんでいると、タヌキが2匹やってきた。暗くてよく見えなかったけれど、あれはタヌキだったと思う。警戒心が強いのかすぐにどこかへ行ってしまったけれど、今日も来ないかなと思いながら外で吸ってのみながらタヌキを心待ちにしている。こっちに帰ってきてから、人間以外の生き物を目にすることが増えた。犬もそうだしタヌキも、庭に巣を作っている蟻とか、母が育てている花に寄ってくる蝶や蜂や虻、コンビニに行く途中にある家に住み着いている猫、朝から絶え間なく鳴いているスズメとか。高知にいるときもいたのだろうけれど、意識することが増えた気がする。

 父方のおばあちゃんが脳腫瘍で入院している。そう長くは生きられないみたい。母と父が病院に着替えを持って行ったり、おばあちゃんの病院での様子を看護師さんに頼んでカメラで撮ってきてもらったのを見たりしている。父はおばあちゃんそっくりだなと思った。おじいちゃんは何年か前に癌が見つかったけれど、薬が体に合ったみたいで、1人になってこたつ布団を干したりして元気にやっている。母は毎日仕事終わりにおじいちゃんのところへ話に行ってる。元気で何より。近くに住んでいる3つ程歳の離れたいとこに久しぶりに会ったけど、今時のお姉さんみたいな感じになってた。

 その他諸々、近頃ははこんな感じ。ハロー。皆様いかがお過ごしでしょうか。

  

2021/4/13(火)

 あらゆる瞬間を切り取っておかなくてはならない。考えてることなんて1日でどんなに変わっていくか、今日だけでも何回も変わっている。これは今無職で暇な時間が多いからこそなんだろうけれども。仕事が始まったら、1日のほとんどは仕事に費やしてその他のことを考える時間なんてなくなる、だから今この暇な時に考えることを切り取っておかなくては。人生は瞬間の連続だ。葉が雫を落とす時のように、氷がピシッと音を立てる時のように、雨が地面を打つ時のように、雲間から太陽が顔を出す時のように、瞬間瞬間の連続だ。何かを想う、何かを考える、触れる、見る、きく、食べる、嗅ぐ、瞬間の連続だ。この五感も、ありふれたもののようでとても尊いものだ。普通と言われるこの五感、それができない人、与えられない人だっている。その幸せを理解しておかなくてはならない。自分は運良くそれらが機能しているだけだ。感じれるものはひたすら感じないといけない、意識しなくてはいけない、これらのどれかが欠けていたら、もしくはこれから欠けたら、どんな思いなのか、そんなことも妄想する。あるとないは表裏一体で、首の皮一枚で、いつどう転ぶかなんてわからない。感じなくては、考えなくては。一瞬を、切り取っておかなくては。

 音楽は、少なくとも自分が今好きでよくきく音楽は、人がつくったものだ。自分がつくるものだ。であるならば、その生み出すものはその人だ、その人、自分をうつしたものだ。だから自分をどんどんつくっていかなくてはならない。吸収して自分の形にする。一つを見る時必ず見えないものができる、光が影を生むように、前と後ろがあるように、見えるものと見えないものがある。ひたすらそれの繰り返しだ、何かを考える、すると考えられていないものができる、それは何か考える、すると考えられないものができる、ぐるぐるぐるぐる、延々と繰り返す。地面を作っていく、見えるものと見えないもの、きこえるものときこえないもの、考えることと考えられないこと、切って貼って固めてまた作って、その繰り返しのはず、少なくとも今はそう考える。そこでまた考えられていない、自分では気づいていないものができる、ある。堂々巡りをしながら進んでいく、つくっていく。今はどこに立っているのか、一寸先の闇の中は抜け出せたのかな。休んで休んで辞めて休んで、なんとなく心地よい空間にいてなんとなく分かった気になってなんとなくできる気がしてなんとなく自信がある気がしているだけだと思う。見えてないものなんて山ほどあるしできないことなんて山ほどあるに違いない。また仕事が始まったらうーうー唸って苦しいしんどいといいながらまた蹲ってしまうのではないか、馬鹿みたいに同じことを繰り返すのではないかと心配。じゃあ何かしろよというわけだ。自業自得、カルマ。妄想の中だけでは立派、テキパキこなして、好きな時間に帰って、好きなことをして、エネルギッシュで、全部うまくいって、自分が進みたい理想の道を進む、馬鹿な妄想。バカ、バカ、やめちまえ、そんな妄想。上手くいくはずないんだ、苦しみながら唸ってうねってもがいて蹲って立ち止まって冷や汗垂らして泣いて喚いてそんなかんじで進んでいくんだ。良いことばかり起こるわけない。悪いことの方が多い、というかそちらばかり気にして生きていくんじゃないかなあ〜なあ〜あー。やりたいことやってみたいことできたらいいなとおもうこととてもある、それをできるように頑張らないと。でもどうしたってできないこともある。やればできるなんて、なんて無責任な言葉だ、したくてもできないこともあるんだ、それはやろうとしてないからなのか、本当はやりたくないことなのか、やらなくてもどっちでもいいことだからなのか、ぐえ。

 ため息ばかりついているな、隙を見てはため息、はーと息を吐く。実家にいてはため息一つで心配してくれる。ありがたいことだけれども、別に心配してくれなくて良い。吐きたくて吐いている。変になにかに気をもんで、ため息を吐く。ため息はもうなんだろう、ルーティーンとまでは言わないけれど、通常運転なんだ。吐く、はく、つく、ため息つかなきゃやってらんないよ。

 考えること、意識すること、これが肝心だと考える。のうのうと生きてちゃつくりたいものはつくれない。生み出すのは自分だ、考えて意識して自分をつくらなくてはつくりたいものはつくれない。つくるならば、自分をまずつくらなくては。自分、自己、己が生み出すならばその己がポンコツでは良いものはつくれない。自分が良いものだと思っている思い込んでいてはだめだ。そこで終わりだ。良いものを作れたと思い込んでいる自分に浸ってそこばかり見てそれで終わり、そんなの言い訳がない。完璧なんてない。良いと想うことは悪いことではないとは思う。自分の今の状態でつくれる最高なものをつくる、だけれどもその状態を更新していく、そしたらば自分はアップデートし続けて更に良いものをつくる。過去に作ったものはいいと思えなくなるかもしれない。だけどそれで良いはずだ。好きなバンドが昔の曲をライブでやらないのはそういうことがあるからだと思う。常に自分が思う良いものをつくり続ける、それしかない。つくるからには、常に最良を最善を尽くすしかない。人は歳を取り考えを積み重ね変わっていく、だとすれば良いものが悪く感じたり、逆に悪いと感じたものがああと思えることもあるはずだ。時間は常に流れその中で生きている、変化なんてあって然るべきだ。その変化をどう受け止めるのか、その受け取り方も自由だ。過去の良いに固執しその良いを極めるのか、自分の変化を受け止め新たにつくりだしていくのか、答えなんかないはずだ。自分が良いと思うことをする。やりたいことをやりたいようにやるだけだ。この言葉は自分の中で金言だ。大事にしていきたい。ピンを大事にしたい。そのピンをより精度の高いものにするのはいつだって自分で、吸収し続ける自分なのだ。だきしめていこう。