2021/4/13(火)

 あらゆる瞬間を切り取っておかなくてはならない。考えてることなんて1日でどんなに変わっていくか、今日だけでも何回も変わっている。これは今無職で暇な時間が多いからこそなんだろうけれども。仕事が始まったら、1日のほとんどは仕事に費やしてその他のことを考える時間なんてなくなる、だから今この暇な時に考えることを切り取っておかなくては。人生は瞬間の連続だ。葉が雫を落とす時のように、氷がピシッと音を立てる時のように、雨が地面を打つ時のように、雲間から太陽が顔を出す時のように、瞬間瞬間の連続だ。何かを想う、何かを考える、触れる、見る、きく、食べる、嗅ぐ、瞬間の連続だ。この五感も、ありふれたもののようでとても尊いものだ。普通と言われるこの五感、それができない人、与えられない人だっている。その幸せを理解しておかなくてはならない。自分は運良くそれらが機能しているだけだ。感じれるものはひたすら感じないといけない、意識しなくてはいけない、これらのどれかが欠けていたら、もしくはこれから欠けたら、どんな思いなのか、そんなことも妄想する。あるとないは表裏一体で、首の皮一枚で、いつどう転ぶかなんてわからない。感じなくては、考えなくては。一瞬を、切り取っておかなくては。

 音楽は、少なくとも自分が今好きでよくきく音楽は、人がつくったものだ。自分がつくるものだ。であるならば、その生み出すものはその人だ、その人、自分をうつしたものだ。だから自分をどんどんつくっていかなくてはならない。吸収して自分の形にする。一つを見る時必ず見えないものができる、光が影を生むように、前と後ろがあるように、見えるものと見えないものがある。ひたすらそれの繰り返しだ、何かを考える、すると考えられていないものができる、それは何か考える、すると考えられないものができる、ぐるぐるぐるぐる、延々と繰り返す。地面を作っていく、見えるものと見えないもの、きこえるものときこえないもの、考えることと考えられないこと、切って貼って固めてまた作って、その繰り返しのはず、少なくとも今はそう考える。そこでまた考えられていない、自分では気づいていないものができる、ある。堂々巡りをしながら進んでいく、つくっていく。今はどこに立っているのか、一寸先の闇の中は抜け出せたのかな。休んで休んで辞めて休んで、なんとなく心地よい空間にいてなんとなく分かった気になってなんとなくできる気がしてなんとなく自信がある気がしているだけだと思う。見えてないものなんて山ほどあるしできないことなんて山ほどあるに違いない。また仕事が始まったらうーうー唸って苦しいしんどいといいながらまた蹲ってしまうのではないか、馬鹿みたいに同じことを繰り返すのではないかと心配。じゃあ何かしろよというわけだ。自業自得、カルマ。妄想の中だけでは立派、テキパキこなして、好きな時間に帰って、好きなことをして、エネルギッシュで、全部うまくいって、自分が進みたい理想の道を進む、馬鹿な妄想。バカ、バカ、やめちまえ、そんな妄想。上手くいくはずないんだ、苦しみながら唸ってうねってもがいて蹲って立ち止まって冷や汗垂らして泣いて喚いてそんなかんじで進んでいくんだ。良いことばかり起こるわけない。悪いことの方が多い、というかそちらばかり気にして生きていくんじゃないかなあ〜なあ〜あー。やりたいことやってみたいことできたらいいなとおもうこととてもある、それをできるように頑張らないと。でもどうしたってできないこともある。やればできるなんて、なんて無責任な言葉だ、したくてもできないこともあるんだ、それはやろうとしてないからなのか、本当はやりたくないことなのか、やらなくてもどっちでもいいことだからなのか、ぐえ。

 ため息ばかりついているな、隙を見てはため息、はーと息を吐く。実家にいてはため息一つで心配してくれる。ありがたいことだけれども、別に心配してくれなくて良い。吐きたくて吐いている。変になにかに気をもんで、ため息を吐く。ため息はもうなんだろう、ルーティーンとまでは言わないけれど、通常運転なんだ。吐く、はく、つく、ため息つかなきゃやってらんないよ。

 考えること、意識すること、これが肝心だと考える。のうのうと生きてちゃつくりたいものはつくれない。生み出すのは自分だ、考えて意識して自分をつくらなくてはつくりたいものはつくれない。つくるならば、自分をまずつくらなくては。自分、自己、己が生み出すならばその己がポンコツでは良いものはつくれない。自分が良いものだと思っている思い込んでいてはだめだ。そこで終わりだ。良いものを作れたと思い込んでいる自分に浸ってそこばかり見てそれで終わり、そんなの言い訳がない。完璧なんてない。良いと想うことは悪いことではないとは思う。自分の今の状態でつくれる最高なものをつくる、だけれどもその状態を更新していく、そしたらば自分はアップデートし続けて更に良いものをつくる。過去に作ったものはいいと思えなくなるかもしれない。だけどそれで良いはずだ。好きなバンドが昔の曲をライブでやらないのはそういうことがあるからだと思う。常に自分が思う良いものをつくり続ける、それしかない。つくるからには、常に最良を最善を尽くすしかない。人は歳を取り考えを積み重ね変わっていく、だとすれば良いものが悪く感じたり、逆に悪いと感じたものがああと思えることもあるはずだ。時間は常に流れその中で生きている、変化なんてあって然るべきだ。その変化をどう受け止めるのか、その受け取り方も自由だ。過去の良いに固執しその良いを極めるのか、自分の変化を受け止め新たにつくりだしていくのか、答えなんかないはずだ。自分が良いと思うことをする。やりたいことをやりたいようにやるだけだ。この言葉は自分の中で金言だ。大事にしていきたい。ピンを大事にしたい。そのピンをより精度の高いものにするのはいつだって自分で、吸収し続ける自分なのだ。だきしめていこう。