2022/6/14(火)

 くまもとけん、熊本県?その場所を聞いて、遠くということは理解できたけれどどこかわからなかった。そうか、九州か。

 今所属している会社で担当してもらっていた営業の人が異動になるということで、後任の挨拶のため仕事終わりにビデオ通話が行われた。軽い挨拶だけだと思ってすっかり油断していたが、主な議題はその人のではなく僕の異動に関することだった。担当してもらっていた営業の人はほとんど喋ることはなく、最後に手をひらひら振っただけで、最初から最後まで後任の人が僕の異動についてやそれに関する会社のことについて等をひたすら喋っていた。後任の人はがっちりとしていて話術が洗練されている、絵に描いたような営業マンという印象を受けた。幾度も繰り返してきたであろう、その場面に合わせた話の組み立てや伝え方の緩急が、灰色のマスクの真ん中を膨らませたりへこませたりしながらするすると流れ出てくる様に拍手を送りたかった。自分へ向けた話でなければいくらでも聞いていられるよ。

 異動先として挙げられた候補は、今住んでいる町の隣の隣町か、熊本県。ちょっと極端すぎやしない?先週会社のキャリアアドバイザーとやらに希望勤務地のいくつかを伝えた矢先での、その二つの候補だった。希望なんて聞いてくれるわけがない、今まで何度か経験したそれをまた繰り返している。そもそも希望を出せるような立場には昔も今もなれてはいない。僕にそれほどの社員としての価値はない。

 異動はしたいと思っていた。今働いている会社で特に問題は起こっていない。一緒に働いている人達からはある程度受け入れられているようではあるし、怒鳴られることもなく、世間話も少しはできている。どでかい失敗をすることなくなんとかやり過ごせている。でも、不安である。多分どこに行っても身の丈にあった不安は僕にもたれかかってくる、僕が勝手にもたれかかる。

逃げなきゃ、とも思えた。暗くて閉鎖的なここから逃げなきゃ、馴染ませられつつあるここから逃げなきゃ。逃げてどうする、他のところへ行って何とかなると思っているのか?こんなに考え事ができる時間がある仕事なんて多分ないよ。でももうその時間も終わる、来月からは終わってしまうんだもの。早くどこかへ行きたい。どこにも行きたくなんてないよほんとは。まだ結局どこにも行きたくないし居たくないんだな。自分でありたい、それはどこ?わからないまま唸っている。

 こんなことを4月の終わり頃に日記に書いていた。受け入れられることが少し怖い。ただずっと同じところにいることが怖いのかもしれない。未だにどこにも行きたくないし居たくない。でも本当は、どこにでも行けるようになりたいしどこにでも居られるようになりたい。そういう自分になりたい。どこでも自分でありたい。僕になりたい。僕が勝手に自分に巻きつけている一切のしがらみを解いて僕になりたい。なりたい、言ってるだけで、住む街すら自分で決められない、なんとも弱い自己だ。

 まだ決まったわけではない。多分、熊本県は餌のようなものなのではないだろうか。大きな会社、家賃と光熱費が0円の寮、一応希望していた事務職、良い条件にも思える。熊本県という点を除いて。とても大きな会社らしいから、僕は多分入れない、きっと競合他社との争いには負けてしまうだろう。そしてそのことを営業の人は分かっていて、会社の利益を上げるために異動はさせたいから大きな会社をちらつかせて、隣の隣町に異動させる。そこまで見据えているのかもしれない。熊本県に決まれば儲け、くらいなんじゃないかな。

 しかし、僕も異動はしたい。であるならば一応熊本県のことを考えなくてはならない。遠い、遠い。遠いと感じるのはどこから見た距離感なのだろうか。それは多分今住んでいる場所でもあるが、僕にとっての大切な場所と人達からというのが大きいと思う。Googleマップをピンチインして日本地図を見ると、現在地から熊本県までの直線距離の5分の1くらいのところに、香川県にあるお気に入りのうどん屋さんの印がついている。あんぐり。

 しかし、想像だにしていなかった遠くに行くことは、僕になることに近づく手立てになるのかもしれない。僕が望んでいたある瞬間の一つなのかもしれない。離れることで、もっと一人になることで、僕はもっと僕になれるのかもしれない。望む先へと近づけるのかもしれない。決意と訣別の印を背中になぞっている。まだない。決意と訣別が先か、印が先か。向かう先は決まっている。だからどこに行っても大丈夫だと思う。進む中できっとその瞬間を過ぎる。やりたいことやるべきだと思うことをもがいて行うことで、向かいながらその瞬間を待ち望んでいる。ある瞬間のいくつかは通り過ぎてその先にいる。

 話せなかった話ができるのかもしれない。毎日毎日日記を書いていて、書けば書くほど誰にも話せなくなっていて、誰かに会えば会うほど会えなくなりそうになっている。うんと離れてしまえば、話せるのかもしれない、会えるのかもしれない。僕になりたいこと、離れることは、過去や人をばっさりと切り離すことではない。むしろ逆だ。僕にとっての大切な人達、尊敬する人達、場所、ずっと大切だ。あなたもあなたも、彼も彼女も、ずっとだ。ずっとと言える理由が僕にはある。今思い浮かぶ人達皆、ずっとだ。僕が勝手に抱いているだけの感情。皆それぞれの大切をあたためて暮らしていると思う、そうであってほしい、その中にいてね。

 でも熊本県にはならないんだろうな。こんなことを書いてこちらにのせようとしているのは、気持ちだけは既に熊本県なのかもしれない。気持ちだけ熊本県でもこうやってのせようとすることができるということは、いつでもできるということなのかもしれない。